会社の評価よりも、よっぽど大切なことがある
みなさん こんにちは おりばーです。
突然ですが、みなさんは会社での評価って大切ですか?
「何言っているんだ 大切に決まってるだろ!」と思う人も多いんじゃないかと思います。
今日は、そんな会社での評価について思うところがあるので、書き綴っていこうと思います。
「会社での評価」について
始めに断っておくと、僕の考えとしては…
「会社で評価される」こと自体は大切だと思いますし、すごいことだと思います。
そりゃー、できるなら仕事を頑張って、評価された方がいいに決まっていますよ。
昇給したり、ボーナス査定が上がったりして収入が増えますし、社内での評判も良ければ自己満足度も高くなり、幸せを感じるかもしれません。
ただ、その評価を得るために自分の大切にしたいこと、もしくは大切にしなきゃいけないものを切り売りして失っているのだとしたら、それはいかがなものかと思うのです。
僕は、大切なものを差し出してまで会社で評価はされなくてもいいかなと思っております。
「会社の評価」を得るために、僕が失ったもの
かくいう僕も、かつては会社の中で評価されたいと思い、仕事を頑張っていたことがあります。
「仕事は頑張らなくちゃ 頑張って仕事をこなして、認めてもらおう」と思っていたんです。
上から求められたことをやりぬくため必死に頑張り、終わらければ遅い時間まで残業したり家に持って帰ったり、休日出勤たりして…
つらくても、「仕事なんだから」と活を入れて頑張ってたつもりです。
その結果、頑張りが認められて良い評価がもらえるようになりました。
でも、それと同時に自分の本当に大切にしなきゃいけないものまで失っていたことに、その時は気が付きませんでした。
失ったもの①:自分の健康
そんな生活をしばらく続けていたのですが、無理がたたったのか、だんだんと心と身体がおかしくなっていきました。
眠れなくなったり、頭痛やめまいが慢性的にするようになったり、変な息切れや動悸がしてきたり…
挙句の果てには字も読めなくなり、奥さんが普通に話していることも意味が理解できなくなりました。
完全に精神的にきてしまっていたんです。
心療内科を勧められて、診察してもらったら…鬱の一歩手前まで来ていました。
これ以上症状が進行すると、一人でトイレも行けなくなるくらいの重篤な鬱になる可能性が高く、取り返しのつかない事態になるとも言われました。
しばらくの間、心療内科に通い薬(抗うつ剤と睡眠導入剤)で治療を続けることになりました。
抗うつ剤って、副作用がでることがあり結構身体がしんどいんです。
朝起きるとものすごく身体がだるかったり、変な時間帯に眠くなってきたり… 治療のためには飲み続けないといけないわけですが、到底健康な状態とは言えない状態が続くんですね。もう地獄ですよ。
それに、通院して感じたのですが、かなりのお金と時間(=治療期間)がかかります。
「1~2回行って、はい完治!」…というわけにはいかないんですよね。
ハッキリ言って、残業代や休日出勤手当で稼いだ分のお金なんて、軽く吹っ飛んでしまうくらいかかるんですよ。
仕事で無理しすぎて、身体が悪くなって治療費を払い続けるなんて… ホント「バカ臭い」としか言いようがないです。
一体、何のために働いているのやら…
失ったもの②:家族との時間
それから、休日出勤などをすると必然的に家族と過ごす時間が減ります。特に、自分の子供と遊んでやる時間が無くなるんですよね。
ある日、奥さんから娘が
「トト(=僕のこと)は、今日もおやすみにおしごとなの? いつ遊んでくれるの?」…といつもつぶやいていることを聞きました。
娘は、僕と顔を合わせている時はそういうことは言わない子なのですが、僕が休日出勤などで家を空けている時に、実はいつも寂しそうにしていたようなんです。
お仕事だから仕方がない…と頭ではわかっているものの、まだ小さな子供だから父親が遊んでくれなくて寂しいって思っていたんでしょうね。
最近思うんですが、子供が小さい時ってすごく貴重な時間だと思うんですよ。
すぐに大きくなってしまって、いつの間にか一緒にいる時間なんか少なくなってしまうのです。
なので、小さくて一緒に居られるときに、遊んだり、思い出をつくったり、大切なことを教えたり…色々やってあげなきゃいけないことがあるはずなんです。
まー、騒がしくて、わがままで、ちょっとめんどくさい時もあるけど、それもやっぱり小さい時期だけなんですよね。
そんな大切で貴重な子供と遊ぶ時期を、休日に仕事ばかりしてフイにしてしまっていたんです。
僕は、自分の心身を壊し、さらに奥さんに娘の気持ちを聞かされた時に、改めて気が付きました。
仕事で評価を得るために、自分の大切なものを切り売りしていたというとんでもない過ちを犯していたことに…
自分の心身の健康と、家族と過ごす時間…
いつの間にか何物にも代えがたいものを失っていたんです。
そんな大切なものを投げうってまで、ホントに会社での評価って大切にしなきゃいけないものなんでしょうか?
自分の大切なものを差し出してまで得た会社での評価に、どれだけの意味があるのかえ?
改めて考えてみると、無理して評価されることを目指しても、実はそこまで意味ないんじゃないか?と思うのです。
確かに評価されること自体は喜ばしいことだと思います。お給料は増えるかもしれませんし、昇格して偉くなるためには評価される必要があるでしょう。
「俺は評価されて、もっともっと上を目指すぞ!」という向上心があり、それを目指すこと=自分の幸せにつながる人は存分に頑張ればいいと思います。
…ですが、仮に評価されて少しくらいボーナスの査定が良くなったとしても、なんか微々たる量の金しか増えないんですよね。
だったらほどほどに頑張るくらいでやめときゃ良かった
…と正直思いましたもん。
それに、評価されて昇格した上の人達を見ていると、苦労ばかりが多くなって疲れ切っていて、全く楽しそうじゃないんですよ。
また、給与面でも仮に昇格して一つ上のクラスに就いても、月々のお給料が1万円弱しか増えないし、責任が重くなることによるプレッシャーや部下のしりぬぐいなど、色々とストレスが溜まってそれによる散財も増えそうです。
何より、また心や身体も壊してしまいそうだし、家族との時間もますます取れなくなるだろうと思われるので、Totalで考えると、なんかあまりにも魅力がない…。無理して目指すようなものじゃないなと僕は思います。
少なくとも、自分の大切なものを犠牲にしてまで、会社での評価を得たいか?…は一度自問した方が良いかもしれません。
(この辺の考察は、下記の記事で書いたことがあるのでよかったらご覧ください)
https://oliverssite.com/work/not-need-promotion/?P=293
今の僕は、会社の評価を自分の心身の健康と、家族との時間を犠牲にしないと、会社での評価が得られないのであれば、僕は会社の評価なんてもはやどうでもいいと思っています。
等価交換になっていないですもん
もしかしたら「評価され続けて昇格しないような奴は、もう要らない!」と会社が言ってくるかもしれませんが… それはそれで仕方がないと思っています。
むしろ、「人を解雇しないと存続できないような状況の会社」で、残って働いたとしても、人がいなくなったしわ寄せで無理がたたって、結局働けなくなりそうだし。
ほどほどに働いて、自分の心身の健康を守り、家族との時間も大切にする。
…会社での評価は、テキトーに頑張ってそれでもらえた結果で良い
これが今の僕にとっての幸せであり、仕事に対するスタンスでもあります。
こういう考え方になったら、精神的にずいぶんラクになりました。
まとめ
・会社での評価を得るために、自分の大切にしなきゃいけないものを切り売りして失っているのだとしたら、それはいかがなものか
・心身の健康や家族との時間など… 評価を得るために、何物にも代えがたい自分の大切なものを切り売りしてないか?
・評価されても、あまり旨味がない可能性がある 自分の大切なものを犠牲にしてまで得る価値があるか、自問しよう
会社での評価…
確かに大事なことではありますが、それを得ようとして気が付いたら大切なものを失っていた…なんてことにならないようにしたいです。
「評価される人材になれ」「出世を目指さないヤツはダメだ」と吹聴してくる輩もたまに見かけますが、そんなものは会社に染まりきった人が勝手に吠えているだけなので、あまり気にしなくてもいいでしょう。
何を大切にしたいかなんて自分で決めればいいし、その価値観を他人がとやかくいう権利はないのです。
自分の大切なものを守りながら、テキトーに頑張って毎日楽しく元気に生きましょう!
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