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僕は「残りの人生60歳までしか生きられない」前提で生きることにした

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やりたいことを先延ばしして生きるほど、どうしても嫌いなことを我慢して生きるほど、僕の人生はもう長くねぇ

みなさん こんにちは おりばーです。

先日、僕はTwitterでこんなことを呟きました

僕もアラフォーサラリーマン…

ひいき目に見てももう若くないし、これからの人生折り返し地点に差し掛かっていると思うんですよ。

今回の記事は、残りの人生について考えた時に、「もう長く生きられない」と自覚して生きることにした話を、掘り下げてお伝えする内容になっております。

おりばー
完全に僕の思うことをつらつらと書いた内容ですが、よろしければ最後までお付き合いください。
目次

僕は、60歳までしか生きられない前提で生きることにした

そもそも、なぜ残りの人生なんてものを突然意識し始めたのか?

そこからお話からさせてください。

読者の皆様
残りの人生って… ちょっと大げさじゃない? 君、まだ40歳かそこらだよね?

なら、まだそんなこと考えなくてもいいんじゃないの? これからまだ長いんだからさ

そう思われる方もいると思います。

そして、実際にこういう余命の話を吐露すると、ややご年配の方からは「大げさだ」というご意見をよく頂いたりします。

確かに、若くはないとはいいましたが、僕はアラフォー世代…

そんなに身体が衰えているわけではないし、身体のあちこちが痛んで、病気になってしまった…という状態ではありません。

健康診断でも特に何も引っかかっていないですし…。

とりあえず現段階では、健康的には生きられていると言えるでしょう

ですが、僕は割と早い段階で死んでしまうと自分は思っています。

その理由は、僕の家系の事情にあります。

おりばーの家系の男性は、短命

僕の家系の男性、実は割と早い年齢でポックリ逝ってしまったり、病気になって闘病生活を送る羽目になったりする人が多く、健康的に長生きした人が全然いないんですよ。

例えば、僕の祖父は57歳くらいで通勤途中で倒れて、そのまま死んでしまったと聞いています。(僕が生まれる前だったので、祖父とは会ったことが無い)

また、僕の父も定年後すぐに重たい病気が発覚し、入退院を繰り返す生活をしていました。

そして長い間、結構苦しい闘病生活を送りつづける羽目になり、そのまま60歳後半であっけなく死んでしまったのです。

僕は祖父には会ったことがないし、自分の父とも「自分の人生、振り返ってどうだった?後悔とかしていない?」なんていう話は出来ていません。

結局、祖父や父が自分の人生をどう思っていたのか? 今となっては知る由もないです。

ただ、僕はきっと祖父や父は「ホントはやりたいことがまだたくさんあったけど、気持ち半ばにして死んでしまった」という気持ちだったと勝手に解釈しています。

きっと無念だったに違いありません。自分たちがそんなに早く死んでしまうなんて、思ってもみなかったでしょうから。

自分が、40代という折り返し地点に差し掛かった、この節目のタイミング…

僕は身近な人が早くに死んでしまっているという事実を改めて思いだし、死について色々と考えてしまったんです。

これまで40年近く漠然と生きてきたけど、自分の人生あと20年くらいしか残っていないかもしれない…

このまま死んじゃって良いのか?

やりたいこともやれてないし、言いたいことも言えず、義務感が先行して人に遠慮して生きてきた気がする

そんな人生のまま終わってしまってホントによいのカイ?…と。

おりばー
肉体的な特徴や性格も、先祖代々の男性と似たようなところがある。

僕もご多分に漏れず、このままだときっと60歳くらいで死んでしまう気がしてならない

これまでの人生、愚行ばかり繰り返してきた

「もう僕は、60歳までしか生きられないかも…」

そう考え始めると、これまでの人生で僕が行ってきた愚行の数々が、非常に悔やまれてくるんですよね。

これまでの人生でやってきた愚行の数々

・他人にどう思われるかを気にしすぎて、意見の一つも遠慮して言えない

・人の目や意見を気にしすぎる

・嫌いな人とも、その人に合わせてうまくやっていこうと考える

・行きたくもない飲み会に、付き合いだから行く

・やりたいことがあるのに、家族や金銭的なことを先に考えてしまい、先延ばしにする

・自分を大切に扱ってくれない人にも親切にしなきゃと考える

こんなことは、誰でも一つ二つは身に覚えがあるでしょう。

本音はやりたくないとは思うけど、周囲と波風立たせずにやり過ごすために時にはしぶしぶやってしまった。

もしくは、〇〇をやりたいけど家族もいるし、お金もいるから我慢した。

こういう経験は、誰にでもあると思います。

ただ、僕の場合は、上記した愚行をかなり色濃く強烈にやっていたような気がしていて、自分軸でちっとも生きられていない感覚がありました。

日々の生活に充実感がまるでなく、正体不明の心のモヤモヤがいつまでも晴れない…

なんか、僕って他人軸で生きてやしないか?…と

まだまだ残りの人生がたっぷり残っているならいざ知らず、人生の終わりが見えてきた今、これから先の貴重な残りの人生、こんな愚行をまた繰り返して時間を浪費するのは、非常にバカバカしいことです。

なので、僕は思いました。

これからの人生、60歳までしか生きられない前提で生き、こんな愚行を繰り返すことなく、残りの人生を後悔なく充実させたものにしたいな…と。

もちろん、頑張って生きたら+αもう少し長く生きられるかもしれないけど、それは神様がちょっとだけサービスしてくれた、いわばボーナストラック。

最初っから当てにしないことにします。

おりばー
こんなしょうもない愚行をずっと繰り返してきたなんて…気が付くのが、少し遅かったかもしれない。

でも、40歳で残りの人生が短いと強く自覚できたことは、ある意味ラッキーなこと。

人生が終わる直前で、しょうもないことをやっていた人生だと気が付いて、「〇〇しとけばよかった」と、後悔だけはしないようにしたいですね。

60歳までしか生きられない前提で生きることにしたら、色々自分の中で変化した

「僕は、60歳までしか生きられない」

そういう前提で生きると決めてから、少しずつ自分の考え方や行動が変化してきたように思います

①他人の評価や目を気にしなくなった。

他人の評価や目を気にして、ホントはやりたくないことをしてしまうことって、あると思います。

例えば、残業。

人の評価や目が気になる人
会社で周りの人が残業しているのに、自分が先に帰るのは申し訳ないな
人の評価や目が気になる人
頑張っているアピールしとかないと、査定下がるかも…

僕も、残業するとき、こういう気持ちを抱いてしまうときがありました。

でも、最近の僕は、残業は「自分が必要か/必要じゃないか?」で決め、疲れる前にさっさと帰ろうと思うようになりました。

疲れたままダラダラ仕事をやっていても、まったく成果は上がらないですし、遅くまで残業しないと評価されない、必要な人間だと思ってもらえないのだとしたら、そんな環境はもう縁がなかったと思うしかない。

残りの人生もう残り僅かなのに、他人の評価や目ばかり気にして、気を揉んで生きてどうするのって感じです。

②欲しいものや、やりたいこと、楽しみは先延ばししなくなった。

それから、以前の僕なら欲しいものややりたいこと、楽しみがあっても、「どうしようかな」と二の足を踏んでしまうことが多々ありました。

お金を失ってしまうし、調整事が発生して面倒だし、いつか時間や余裕が出来たらでいいかな…と。

でも、いつか時間や余裕が出来たら…なんていってるけど、そんなタイミングはやってきた試しがない。

時間や余裕ができた時には、自分が年老いていて、身体も心も元気ではなくなっているかもしれないのです。

なので、欲しいものを買ったり、やりたいことや楽しみは先延ばししないことにしました。(もちろん、限度はありますけどね。)

  • 欲しいものがあったら、いかにして手に入れるかを考えてさっさと買う。
  • やりたいことがあるなら、さっさとやってしまう。
  • 毎週、何かしらの楽しみを設定して、絶対やるようにする。

どうせ長く生きられないんだから。

元気に生きているうちに入手したり、やっちまおうかなと。

おりばー
この前なんか、『友達に会いたい』と思った時には、スマホで連絡していました。

『会いたい』と心に浮かんだその時にはっ! すでにアポはもう取り終えているんだっ!

③人に嫌われても別にいいと思うようになった

それから、会社という組織の中で生きると、人間関係の悩みは避けて通れません。

絶対、こういうヤツには遭遇する
・特に何をしたわけでもないのに、敵意むき出しで攻撃してくる人

・こちらの事を軽く見て侮蔑してくる輩

・陰で悪口を言いふらす者

自分を嫌う人間、自分を大切にしてくれない人間は必ず出てくるものです。

最近、僕は転職して新しい環境に飛び込んだのですが…

やはり現れましたね。 僕を嫌ったり、悪く言ったりする人間が。

以前の僕なら

おりばー
僕が、何か気に障ることをしてしまったんだろうか?

とか、

おりばー
どうしたら仲良くなれるだろうか?

そんなことを考えていたはずです。

でも、僕ももう40歳になり、色々な環境で人間関係に揉まれてきた経験から言えることですが…

組織の人間全員と仲良くなろうなんていうのは、ほぼ不可能に近い。

そして、気を使って相手の機嫌を損ねないようにして好かれる努力をし、うわべだけ仲良く取り繕ったところで、本当の意味での良い人間関係を築くことなんてできないのです。

おりばー
そんな人間関係、きっといつか破綻します

人生の終わりが見えてきた今、自分を嫌う人間、悪く言う人間、自分を軽く見て大切に扱ってくれない人間に対し、何とか認めてもらおうとか好かれようとかする、不毛な努力をしている時間はないんですよ。

なので、嫌いなら嫌いで、無理に分かってもらおうだなんて思いませんし、好かれようとも思わないことにしました。

おりばー
あっ、あなたは、僕のこときらいなんですね

はい 別に大丈夫です ご愛読ありがとうございました~♪

そんな人、こちらとしてもどうでもいいんで!

変に気を揉んで、ストレス溜めるぐらいなら、半分くらいの人には嫌われる前提で無理しないでいた方が、自分もスッキリするし、なによりその方が多くの人に好かれるんじゃないかと思うのです。

「残りの人生」を意識し、自らに制約をかけるべし

このように、「自分の人生はもう長くない」ことを意識してから、自分でも考え方や捉え方がかなり変わったなと自覚しています。

Hunter×Hunterという漫画に、クラピカというキャラクターが出てきます。

そのクラピカが、自分の能力に使用制限をかけ、それと引き換えに莫大な力が発揮できるようにしているシーンがありますが、なんかこれに似たような作用があったんじゃないかと思います。

出展『Hunter×Hunter』

このクラピカのように、「60歳までしか生きられない」という制約を自分に課すことで、迷いを振り切れたり、周囲に気を使いすぎなくなり、自分を見失うことが少なくなりました。

自分軸で、今を一生懸命生きようという気持ちになってくる。

「もう人生長くないのに、果たしてこれは我慢してやるべきことなんだろうか?」「先送りしてもいいの?ホントはやりたいんじゃないの?」と自問し、やるべきことでないと判断したら、やらないと決める。

やりたいなら、遠慮せずやってみる。

ほんの少しずつですが、今は自分軸を取り戻し今を充実して生きられている感覚があります。

もし、毎日が楽しくなく、自分軸で生きられていないと感じて、息苦しさを感じている人がいるならば…

自分の残りの人生を一度考えてみると良いと思います。

そして「自分は、長く生きられない」という前提を立て、自分に制約をかけてみると良いです。

きっと、今を大切にしようと思えるはずだし、他人軸で生きてる場合じゃねぇぞ!という気持ちになってくると思います。

おりばー
制約と覚悟が大きいほど、得られる効果は高い!

やりたいことを先延ばしして生きるほど、どうしても嫌いなことを我慢して生きるほど、人生はもう長くねぇんですわ。

まとめ

・40代に差し掛かり「自分は60歳までしか生きられない」前提で、生きることにした

⇒自分の家系の男性が、皆早死なので、たぶん自分もそうなるから

・「60歳までしか生きられない」前提で生きることにしたら、自分の中で色々変化した

①他人の評価や目を気にしなくなった

②欲しいものを買うことややりたいことを、先延ばししなくなった

③人に嫌われても、別にいいと思うようになった

・「自分は60歳までしか生きられない」という前提=自分に制約を掛けること

⇒自分軸で、今を一生懸命生きようという気持ちを増大させる

先日、久しぶりに友人に会ったのですが、

友人
おりばーくん、しばらく会わんうちに、活き活きした顔になったなぁ…

自分軸で生きとる証拠やね 自分の人生、努力して切り開いたんやなぁ

こんなうれしい言葉を言ってくれました。

間違いなく、「自分の人生は60歳まで。 そんなにもう長くない」と意識して行動していたからだと思います。

人の人生は、いつ終わるかは誰にもわからない。

もしかしたら、1時間後かもしれないですよね。

いつ終わるか分からないからこそ、今を一生懸命、自分軸で生きたいものです。

それでは、本日はここまで

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