境界が良くわからないんだよね…
みなさん こんにちは おりばーです。
よく、他人に対して『それは甘えだ』とか『甘えるんじゃない』と、厳しい意見を吐き捨て突き放してくる人を見掛けます。
自分が言われているわけじゃないのに、なんだか嫌な気持ちになるのは僕だけなんでしょうか?
今日は、そんな『甘え』問題にについて書き綴っていこうと思います。
『甘えるな』と突き放してくる人
『甘えるな』と言われる例は枚挙に暇がないですが…
例えば、仕事の進捗が遅れていたり、どうしたらいいかホントにわからなかったりしたりして、Helpを出したり相談したりすると、
『甘えるな!』
…と叱責してくる人を見掛けます(主に上司や先輩に当たる人だと思いますが)
まずこういう人達に言いたいのが、一体何が甘えなんでしょうかね?
こちらは、仕事の進捗がかなり思わしくなく、遅れが出そうだったり、そもそもどうしていいかホントにわからないからアラートを出して、頑張って対応しようとしているのに…
それを『甘えるな!』の一言で一蹴されてしまうと、ホントにどうしようもなくなってしまいますよね。
もちろん、『人に頼ってばかりいないで、少しは自分で考えてみて、頑張ってみろ』…という意味で、あえて言っているという場合もあるでしょうし、その気持ちも分からなくもないですが…
もしそうだという場合は、
・考える時間的な猶予が十分与えられていること
・局所局所でちゃんとフォローがされていること
・本人の能力キャパシティを大幅に上回らない仕事であること
上記がそろっていることが前提だと思います。
これがそろっていない場合、それは単なる『無茶ぶり』『投げっぱなし』です。
僕も、ホントに困ってしまったので上司に相談されたら『甘えんなよ』と一蹴されて、途方に暮れたことがあります。
僕を鍛えるためにあえて厳しいことを言っているんだ…みたいなことを言ってきましたが、僕は少し性格がひずんでいるので、そういう上司の思惑は全くありがたいと思えませんでしたね。
僕が思ったのは、
…ということと、
トイレットペーパーも大量に+30㎝くらいで使ってやるからな!
…ということくらいですかね。
単に『甘えるな!』と突き放すだけでは、物事は進まないうえに、『こいつに相談しても無駄だな』という猜疑心を植え付けるだけなんですよ。
それじゃ誰も幸せにならないですよね?
むしろ、めんどくさいもんだから『甘えるな!』の一言で何でも片づけてしまおうとしている、そっちの方が甘えていると思うんですが。
そもそも、『甘え』の境界線はあいまい
別のたとえ話になりますが、風邪をこじらせてダウンしてしまい、休みを取っている人に対して、『風邪くらいでダウンしやがって それは甘えだ!』と、心無い一言を浴びせてくる人をたまに見かけます。
風邪くらい…というけど、その人がどれくらい辛いかなんて、どうしてわかるんですか?
ドラゴンボールのスカウターみたいに、『辛さ:〇〇〇〇』と定量化されたデータがあるんですか?
それに風邪の症状も人それぞれだし、体力や気力、風邪に対する考え方も違うし、また仕事に対する考えも十人十色です。
『風邪をひいて辛い 仕事はあるけど、それを上回るぐらい辛い』…と思ったからその人は休むと判断したんです。
上記のように、人に『甘えだ』と言ってくる人って、自分の考えを元に判断して、それに達していない場合に単に『甘え』と言っているんです。
ですが、それはあくまでもその人の判断基準でどうか?なのであって、はっきり言って絶対的な指標は無いのです。
なので、他人が言う『甘え』or『甘えじゃない』という境界線って、その人の考えで好き放題に判断した結果に過ぎないため、極めていい加減であいまいなものだと考えます。
それに、仮に『甘えだ』という言葉をこれを読んでいるあなたが鵜呑みにしてしまって、無理して頑張って体調を崩したり、身体を壊してしまったとします。
でも、こういう人たちは2000%そのことに対しての責任は取りません。
『ホントにやるやつがあるか』『自己責任だ』と言って、実際に身体を壊した人を蔑んで終わりでしょう。
なので、他人が『そんなの甘えだ』といってきても、安易に自分がダメな奴なんだ…と鵜呑みにして無理に頑張る必要はありません。
『フーン あんたは甘えだと思うのね だがしかし…、俺は違うね! 俺は俺の身体を優先する!』
…くらい開き直ってもいいんじゃないのかな。
ちなみに、『風邪なんかでダウンしやがって』…と、他人に厳しいことをいう輩に限って、自分も平気で風邪をひいたりします。
人に厳しく、自分には甘い人間なんですね。
そういう人には、嫌みたっぷりで『あんたも風邪ひいてんじゃん 風邪なんかでダウンしやがって!」といい返してやりたいです。
(そんなことホントに言ったら、僕も同じレベルのイヤな奴になってしまうので言わないと思いますが)
長い仕事人生において、体調を崩してしまうこと、病気やけがをしてしまうことは誰にでもあり得ること。
甘えだなんて一言で蔑むのではなく、周囲のみんなでリカバリーし合えるような組織でなくてはいけません。
『体調を崩して休んだらもう一巻の終わり 居場所がない』なんて職場、精神的にも良くありませんし、人も定着しないでしょう。
『甘えてる』『甘えじゃない』 は自分の絶対評価でいい
…ということで、『甘えてる』『甘えていない』という境界線は、見る人の物差しによってだいぶ変わってくると思うので、そんなものに振り回されて、顔色を伺うのって、疲れるだけなんですね。
『これって甘えなのかな?』とか『甘えんじゃない…って言われちゃうかな?』と、いちいち考えちゃうんです。
ですが、別に絶対的な基準は無いので自分自身で基準を決めちゃって、それで『甘え』or『甘えじゃない』を決めちゃえばいいんじゃないでしょうか?
自分の中の絶対評価で良いってことです。
自分が決めた基準範囲で、それを超えないうちに弱音を吐いたら『甘え』だけど、その一線を越えたら、それ以上はもう『甘えじゃない』でいいんですよ。
自分のことは自分の判断基準で決めて行動して、それに対して責任を持つ
一見大変で辛い生き方に見えますが、こういう風にシンプルに考えて生きた方が、他人の目を気にすることによる余計なストレスを抱えずにすむので、よほどさわやかに生きられる気がします。
まとめ
・『甘えるな』と突き放してくる人は、単に無茶ぶりや丸投げしている場合が多い 決してこちらのためを思っての言葉ではない
・他人が言う『甘え』or『甘えじゃない』という境界線は、その人の考えで好き放題に判断した結果に過ぎない 極めていい加減であいまいなもの
・『甘え』に対しての別に絶対的な基準は無いので自分自身で基準を決めちゃってOK 自分の判断基準で決めて行動して、それに対して責任を持つ
甘えor甘えじゃない問題は、永遠に折り合いがつかない問題だと思います。
結局、個人の物差で図っているものなので尺度が違って当たり前だし、違うからといって自分の尺度に相手を無理に当てはめるのも、ちょっといかがなものかと。
なので、自分の物差しで判断して行動し、相手にもそれを無理強いしないことが大事なんだと僕は思います。
もちろん、なかなか仕事上ではそうもいっていられない状況もあると思いますが、こういうスタンスは忘れずにいつも心に持っておきたいですよね。
それでは、本日はここまで
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