「自責思考」を強要し、悪用している輩っていますよね
みなさん こんにちは おりばーです
「自責思考だ」「なんでも自責で考えろ」こういう言葉を一度は耳にしたことはありませんか?
最近、この「自責思考」について思うところがあり、モヤモヤしてしまったので記事を書くことにしました。
今日のテーマはズバリ、「自責思考」を悪用している輩についてです。
自責思考って何?
まず、自責思考の定義をしておこうと思います。
自責思考とは、読んで字のごとく「自分に責任がある」という考え方です
問題が発生した時に自分事として捉え「自分のやり方にも問題がなかったか」「事前に予見できていれば防げたんじゃないか」と顧みるという、ものすごい高尚かつ立派、キラキラしている考え方です。
これとは逆に他責思考という考え方もあります
責任は自分にはなく、周りの人間や環境にあるという考え方
問題が発生した際に、責任は自分にはなく、周囲の人間がわるいとか、環境に問題があるとか、自分以外に責任があるという考え方です。
昨今では、この「自責思考」することが重要とされていて、「自責思考をすることで成長できる!」とか、「他責思考している奴はダメだ!」という風潮があるように思います。
確かに、他責思考に偏りすぎて、ハナから他人や環境が悪いと考えて何も行動しない、何も改善しないというのはよろしくない。
ただ、僕はこの「自責思考」という言葉に対して、どうもすんなり受け入れられないし、ちょっと危ない考え方だとすら思っています。
なぜならば、この「自責思考」という考えを自分の都合のいいように使い、悪用している輩もいるからです。
自責思考を悪用している人たち
ここで、以前働いていた会社の管理職の話をします。
この管理職を仮にS田さんにしましょう
このS田さん、事あるごとに意識の高いことばかり言ってる人だったのですが、「自責思考」という言葉も好んで使ってました。
事あるごとに、部下に対して「自責思考」「自責思考」と、まるで念仏のように説いて回っていました。
ただ、僕はこのS田さんが「自責思考」を強要しているのを見るたびに、疑問と胡散臭さを感じていて、まったく賛同できなかったんですよね。
理由①:すべての事柄が自責なんてありえない
例えば、他部署の人がミスをしてしまった、もしくは面倒を見ていた後輩が失敗をしてしまった…こういうことが起こるたびに、S田さんは部下に「自責思考」を求めていました。
また、社会情勢の急激な変化のあおりで、頼んでいたモノが届かなくなってしまったという、どうしようもない不可抗力アクシデントに対しても「自責思考」を使って部下に詰め寄っていました。
でも、すべてがその部下の人の責任なわけがない。
どれだけ手厚くフォローし、注意を促してしまっても起こってしまう事故はあります。
そして世界情勢の変化や厄災、事故などどうやっても予見できないアクシデントはある。
それをすべて「自責で考えろ」というのは不自然で無理があるし、かなり極端で横暴な考えだと思います。
起こること全てをホントに自責で捉えていたら、間違いなく精神が参ってメンタルダウンし、本来十分果たせるはずの責任すら果たせなくなってしまうと考えます。
現に、この部下の人は、何かあるごとにS田さんに「自責思考」という考え方ばかり強要され、メンタルがかなりやられたといっていました。
それはその人の心身の健康が守られている事が大前提です。
立派な意識高い「自責思考」のせいで、メンタル壊すなんて本末転倒!
メンタル壊したら成長もクソもないですし、結局責任果たせなくなっちゃうんじゃなかろうか?
理由②:このS田さん自身、「自責思考」を人に強要するけど、自分の時には見事な「他責思考」の持ち主だった
また、僕がS田さんの「他責思考」という考えが受け入れられないと思う理由。
それは、S田さんが自分自身のミスや落ち度に対しては「他責思考」になっていたからです。
ある日、S田さんの部下の一人が、手配の確認の不十分さからミスを起こしてしまい他部署にも迷惑が発生する事態が起きました
このS田さんも、この部下の状況を知っていて、この手配の確認&承認をしていたのですが…それでも問題が発生してしまったんですよね。
その際、S田さんは周囲の人間にこんなことを言っていたのです。
それなのに…
このS田さん、あろうことか管理職の自分には落ち度が無いことを見苦しく周りに弁明し、立派な「他責思考」ですべての責任をこの部下に押し付けようとしていたのです。
残念ながら、部下の落ち度やミスは上司の責任でもあります
内心では「おいおい。それは自分のせいじゃないよ 勘弁してよ」…と思ったっていい。人間だもの
ですが、管理職の立場の人間が、声高らかに「自分のせいじゃない 部下が悪いんだ」なんて言葉に出して周囲に喚き散らすのは非常にみっともない。
そして普段「自責思考」を人に強要しているくせに、自分の時にはすこぶる甘く「他責思考」をしているなんて…もはや何かのギャグですか?と言いたい
自分自身が「他責思考」してるんじゃ全然説得力が無いよ
この管理職S田さん、「自責思考」という言葉を自分の都合のいいように解釈し、悪用していただけだったんだと思ってます
部下の労働力を極限まで引き出したいけど、賃金UPや労働環境の改善はしたくない…
だから「自責思考」という言葉を巧みに使い、個人の責任感や良心に訴えかけて
利用している風にしか見えなかったんですよね。
そして、「「他責思考」は成長しないからダメ!」と人には言っておきながら、自分が苦しい時には平気で「他責思考」しているという説得力の無さ。
「自責思考」することが大切なんじゃなかったっけ? 全然ハラ落ちできません。
このS田さんのような例を見てから、「自責思考」を念仏のように乱発し人に強要してくる輩に出会ったら、かなり疑ってかかるようになりました。
もしかしたら、自分の責任ではどうしようもないことや、明らかに自分の責任範囲を超える部分にまで責任をオッかぶせようとする、小ズルい人間の常套手段かもしれないので、気を付けないといけません。
「自責思考」はツール(道具)である 使い方を誤らないようにしよう
なんでもかんでも他責にして、行動や反省、改善をしないのは確かに良くないこと。
そればかりじゃ人は成長しないという考えには賛成できます。
そういう意味では「自責思考」をすることはとても大切な事でしょう。
「自責思考」は意識が高めの、理想的な立派な考え方なので、非常に都合のいい言葉として使われがちです。
ですが、「自責思考」も使い方を間違えると、自分のメンタルに不要な過剰負荷をかけることになるし、上記したS田さんのように「自責思考」を悪用する人間もいます
結局、「他責思考」「自責思考」なんていうのは考え方のツール(道具)にすぎません
「自分が改善ができるところがないか?」「自分ではコントロールできないところはどこか?」冷静に整理し分析するための、単なる心構えや考え方なんですよね。
使うことを他人に強要されたり、「使っていない奴はダメ人間呼ばわりされる」のはすごくおかしな話です。
そして道具である以上、それを使うのが適切じゃない状況だってあるし、使わない方がかえってうまくいく場合もいる。
どんな素晴らしい道具だって、場合によっては違う道具の方が上手くいくことが有るし、使い方を間違えると事故やケガに繋がってしまうんですよ。
玉ねぎを素早く粉みじんにするためには、包丁じゃなくてフードプロセッサーを使った方がいいし、ジャガイモの皮をむくのに、包丁じゃなくてピーラーを使った方が怪我無く安全に、きれいにむける人もいるよね
「自責思考」じゃないとダメ=みじん切りや皮むきは包丁じゃないとダメ!って言われてる気がしてくる
「自責思考」もオールマイティな万能ツールでは決してなく、なんでもかんでも「自責」で片付くわけがないし、使い方を間違えると大けがをして身を滅ぼしてしまいます。
「自責思考」と「他責思考」 単なるツール(考え方の一つ)だと思って、状況や自分の状態に合わせうまく使い分けていきたいものです。
まとめ
・「自責思考」が大事 「他責思考」は成長しないからダメ
⇒こういう風潮があるが、疑ってかかるべし
・「自責思考」を悪用し、自分の責任ではどうしようもないことや、明らかに自分の責任範囲を超える部分にまで責任をオッかぶせようとする、小ズルい人間もいる
・「自責思考」は所詮は道具(ツール)オールマイティな万能ツールではないし、使う状況や使い方を間違えると大けがをして身を滅ぼす。
⇒状況や自分の状態に合わせ「自責思考」と「他責思考」をうまく使い分けるべし
「自責思考」は確かに人を成長させるのかもしれませんが、なんでもかんでもこの考え方で片づけるのは非常に危険です。
こういう口当たりのいい言葉をいいように使い、すべての責任を取らせようとする邪悪な人間もいるものです。
「自責思考」を乱発し、強要してくる輩に出会ったら、鵜呑みにせずに疑ってかかるようにしましょう。
それでは、本日はここまで
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